暑い三連休の初日に上野の森美術館の石川九楊展へ(右の親子は知らない人)。
その世界では非常に著名な方。実は氏についても書についても詳しく知りませんで、以前白川漢字学について語った記事を読んだぐらいでしたが、想像以上の超絶表現に圧倒されっぱなし。驚きの連続でした(下の画像2点は図録より)。
とくに強烈だったのは、源氏物語や方丈記など古典文学や歎異抄を文字化した作品以降。うーん、ほとんど文字に見えない...(汗)。出典に親しんでいればと恐縮しつつも、自分なりにその生命力を受け止めることはできたと思っています(汗)。そもそも「描かれた」曲線直線の集合体に自分好みなフォルムが多く、そこからシンパシーを感じたというのが正直なところかもしれません。
後にリンクしている糸井重里氏との対談を読むと九楊氏は「形を見ないでプロセスを見てほしい」とのこと。
一般的な視点からスタイルは前衛芸術の部類でしょうけど、作品のアイデンティティは絵画ではなく書道という行為なわけでうなづける話です。描線に込められた文字を書くという動的なダイナミズムをどう体感するか。これはこれで難しい考え方(汗)。僕は生の展示作品を目にすると線描をじっくり目で追う癖があるのですが、そういう意味で今回は見方がいつもと違いましたね。物販のサイン会で図録にサインしてもらった時はまさに刮目状態。
脳内覚醒気味で会場でると外は暑いし、駅に戻る道中で倒れるかと思いました(汗笑)。
→ 展覧会公式サイト
→ 石川九楊の「書」だ。 ほぼ日刊イトイ新聞
その世界では非常に著名な方。実は氏についても書についても詳しく知りませんで、以前白川漢字学について語った記事を読んだぐらいでしたが、想像以上の超絶表現に圧倒されっぱなし。驚きの連続でした(下の画像2点は図録より)。
とくに強烈だったのは、源氏物語や方丈記など古典文学や歎異抄を文字化した作品以降。うーん、ほとんど文字に見えない...(汗)。出典に親しんでいればと恐縮しつつも、自分なりにその生命力を受け止めることはできたと思っています(汗)。そもそも「描かれた」曲線直線の集合体に自分好みなフォルムが多く、そこからシンパシーを感じたというのが正直なところかもしれません。
後にリンクしている糸井重里氏との対談を読むと九楊氏は「形を見ないでプロセスを見てほしい」とのこと。
一般的な視点からスタイルは前衛芸術の部類でしょうけど、作品のアイデンティティは絵画ではなく書道という行為なわけでうなづける話です。描線に込められた文字を書くという動的なダイナミズムをどう体感するか。これはこれで難しい考え方(汗)。僕は生の展示作品を目にすると線描をじっくり目で追う癖があるのですが、そういう意味で今回は見方がいつもと違いましたね。物販のサイン会で図録にサインしてもらった時はまさに刮目状態。
脳内覚醒気味で会場でると外は暑いし、駅に戻る道中で倒れるかと思いました(汗笑)。
→ 展覧会公式サイト
→ 石川九楊の「書」だ。 ほぼ日刊イトイ新聞