訃報は10月24日朝、友人M崎氏からのメールで知った。彼が9月11日に亡くなっていたと。自分は何ヶ月も連絡とっていなかったし、少し前からM崎氏と心配していたところだった。電話もつながらず、住所も知らなかった。M崎氏は彼の友人経由で知ったという。すでに四十九日の法要を終えた後だった。
彼の名誉のためにあえて記すが自殺ではない。しかし、生きるモチベーションを失っていたことは確かと思う。何年も前から精神的に不安定な状態がつづき、飲んでいても途方にくれた表情をよくのぞかせていた。
彼と最後にあったのは今年6月。M崎氏との3人飲みだった。別れ際、駅で彼と2人になったとき、
ハ「たまにはサシで」
枝「おお、そうだね、たまには」。
その後は会話もメールのやりとりもしていない。

同い年で親しい友人を亡くすのは初めてのことでいろんなことを考えた。
でも「親しい」って、どう親しかったのか? 実は彼のことはあまりよくわかってない。
9月11日に自分は何をしていたのだろう? その日付けで僕は自分のブログを更新していた。
仕事が激忙だとか、次の日が自分の誕生日だとか。
何も知らずに四十九日も過ぎていたことに愕然とし、そして、その日彼はどういう状況経過で死を迎えたのかを想って胸を痛めた。

先日10月30日に、M崎氏をはじめ友人数名と彼の実家を弔問した。場所は千葉県内房方面。
彼から故郷のことを聞いたことがなかったので、都会育ちの僕は、現地に着いときに驚いた。釣り客を見かける海岸沿いの港街。閉まったままの旅館、ゲームセンター、ひなびた建物や川の趣きが、僕の心の中でぴったり彼と一致した(昔はもっとにぎやかだったろうけど)。
生前の彼は自分の故郷を大変嫌っていたという。それでも、この地はまぎれもなく彼の原風景だったのだ、と僕は静かな感動にひたってしまった。

DSC_0086

DSC_0022


お焼香のとき、彼の遺影を前に、この現実、瞬間をしっかりと噛み締めようと手をあわせた。だけど、友人の番では「葬式ごっこに見えなくもないな」などと、大変不謹慎な思いもしていた。彼なら笑って許してくれるだろう。これまで経験したことのない、非常に特別なひとときだった。
お母様は心良く僕らに応じてくださり、いろいろと昔話しをしてくださった。香典返しには大層なししとうと干物をいただいた。妙な観光気分で、実家を後にした。

夜、都内についてからは、僕のカミサン(彼女とも仲がよかった)や別の友人が合流して、居酒屋で飲み語り笑った。隅っこにぼんやりとタバコを吸っている彼が居そうな雰囲気だった。

あれからもう何日も過ぎてこの文を打っているのだけど、まだどうも現実感がない。
ただ、不思議なもんで彼の好きだった映画やCDが頭に浮かぶと、もう彼はいないんだと実感させられる。
そろそろ、巷ではまたクリスマスムードになる。彼はクリスマスを嫌っていたけど、好きなクリスマスソングは多かったようだ。なかでも、THE POGUESの「ニューヨークの夢」は断トツに上位と語っており、彼は毎年必ずどこかで話題にしていた。僕も大好きな曲だ。この曲は歌詞が非常に素晴らしいので、関心のある方はぜひネットで検索して知ってほしい。彼のホームページは、昨年末この曲をモチーフにした絵で最後になっている。何てことだろう。
しばらくはクリスマスシーズンのたびに寂しい思いに暮れそうだが、いまはただ、彼のご冥福を御祈りしたい。
4年前の岐阜旅行が楽しかったなあ。さようなら、ありがとう、早川さん。

IMG_7331



→[121024]あれから1年を経過して